建築家としての思索さん
学生時代
- 建築の専門学校に通い、在学中に二級建築士を取得(※当時は、学校卒業後でないと、一級建築士を受験することが出来なかった)
- 卒業論文では、建築家クロード・ニコラ・ルドゥーを題材に選び、それ以降、ルドゥーの影響を受ける
ルドゥーとはどんな人
- ルドゥーは、「アンビルドの建築家」「ユートピア思想家」とも称され、名前の通り、自らの真価を思想上で発揮した
- ルドゥーが実際に設計した建物は極わずかであるが、それにも関わらず、後世にまで名が記憶されているのは、ルドゥー本人による努力はもちろん、「アンビルド」としての建築家の役割が、社会的に必要とされている証ともいえるだろう
ルドゥーの業績
- ルドゥーの業績が今に伝えられているのは、彼の遺した一冊の書物、「建築論」による。彼はこの書物に、自らの建築思想を託した
- 特に有名なのは、「ショーの理想都市」である。彼は、自らが建築家兼建物の管理者として、製塩工場をつくり、その周りに住宅等を配置、パノプティコンシステムを援用して、理想都市の計画案を作り上げた。建てることしか考えていない建築家たちとは違い、彼は建築を運営しようとしていたのである
ルドゥーから受けた影響
- 私の建築活動は、すべてルドゥーから来ていると考えてよい
- 私が農業を始めるのは、ルドゥー自身が農業による自給自足の生活を計画案に取り入れていたから
- 私の宿坊計画の立案は、ルドゥーの製塩工場に代わるもの
- 建築論を出版したことや、アンビルトの道を選んだことも、私なりにルドゥーの思想を継いだ結果である
- また、ルドゥーは画家(厳密には版画家)としても活動した。自らの建築思想を、絵で表現したのである
- つまり、私の画家としての活動も、ここに由来している
↓出版した本↓
建築論 他三編 著.思索さん
私が提唱する『建築運営論』を説いた一冊。アンビルドとしてのあり方や、建築を観念的に捉え直す試みなど、一発目にふさわしい内容となっている。
税込:1320円
○在庫あり
紙・電子のどちらか選べます
画家としての思索さん
主な活動
・哲学・宗教・建築などをテーマに、メッセージ性を込めた作品を多数発表
・YouTubeやブログで、自分の描いた作品の意図を解説
・メッセージを伝えることが目的なので、原画の販売はしません
絵の世界から建築の世界へ
- 特別絵が上手かったわけではないが、何か絵に関係のある仕事がしたいと思い悩んでいた中学三年の夏、美術の先生から、建築家の道をすすめられる
- 建築の専門学校に入学する
建築の世界を通じて、絵の世界に戻ってくる
- 建築論の授業にて、建築家ザハ・ハディドを知る。彼女の建築に惹かれると同時に、彼女のデザインがピカソなどのキュビズムからきていると知り、美術史に関心を持つ。
- その他、ロシア構成主義や表現主義、バウハウスや近代ウィーンなど、絵画と建築との密接な関係性を知るにつれ、逆輸入する形で、美術史を勉強するようになる。
模写時代が始まる
- 最初は本を読んでいるだけだったが、本質を掴むためには、実際に描く必要があると考え、古今東西の絵を模写し始める。
- 美術史の知識を身につけると同時に、絵を描く楽しさを思い出していった。
純粋芸術論の誕生
- そんな時に、神谷美恵子の「生きがいについて」という本を読み、そこに出てくるハンセン病患者の話を通じて、絵を描くことそのものが、人生の生きがいになるという着想を得る。
- さらに、柳宗悦の「手仕事の日本」や、、ハリソンの「古代芸術と祭式」などから理論を援用し、『純粋芸術』という体系化を図った。
- その最初の集大成となったのが、私の卒業論文『純粋芸術批判』である。
純粋芸術家としての活動がスタート
- 自らの純粋芸術論に従い、純粋芸術家を名乗るようになる
- 当初は自分だけで楽しむ絵を描いていたが、次第に自分の描いた絵を使って、自分の考えやメッセージなどを発信できないだろうか、と考えるようになる
建築画家の誕生
- その時に頭に浮かんだのが、建築家クロード・ニコラ・ルドゥーである。彼は絵を介して、自らの建築思想を伝えた。※建築家としての思索さんを参照。
- そこに着想を得て、建築画家としての、私の活動が始まった
思索さんへの改名
- 最初の内は、テーマを建築にしぼって発表していてものの、次第に哲学や宗教なども扱うようになり、改名を決意。思索する画家となった。
- ツイッターのフォロワーから、「思索さん」と呼ばれたことをきっかけに、今の思索さんに至る
代表作
↓出版した画集↓
哲学を絵画する 著.思索さん
「自由意志」というテーマに沿って、作品を再編成。解説も新たに書き下ろしました。
税込:3,740円
○在庫あり
僧侶としての思索さん
主な活動
・浄土真宗のお寺で修行中
・YouTubeで、お経を読んだり解説をしています
・仏教をテーマにした絵を描いたりもします
信仰心の芽生え
- 一時期、宇宙関連の本にハマる
- ホーキング博士の「宇宙を語る」や青木薫さんの「宇宙はなぜこのような宇宙なのか」、サイモン・シンの「宇宙創世」など
- 一通りの本を読み終えた後、知識の限界を知る
- たとえば、宇宙はビッグバンから始まった、と知った気になっているが、実は仮説に過ぎないということ。つまり、ビッグバンがあったことにしておこう、もっというなら、その説を信じよう、という状態。これを信仰といわずして何というか
宗教建築への憧景
- 建築の専門学校に通っていた私は、西洋建築史の授業で、キリスト教建築に触れる
- その時は、ただ知識として学んだに過ぎなかったが、明治村を訪れた際に、初めて教会建築を体感。その魅力に取り憑かれる
- 「ステンドグラスを通して差し込む光や、オルガンから流れる音楽が演出する神聖な空間」ここに芸術の最高頂を見た
僧侶になる決意
- 教会建築を建てると決意する
- この時、すでに建築運営論の基礎が出来上がっていたため、自身が僧侶になる必要があると察した
仏教との出会い
- ただ、キリスト教に入信することは最善ではなかった。
- 文化圏の壁を乗り越えるよりも、日本に生まれた自分にしか出来ない道をたどることが最善であるように思えたから
- そこで、鎌倉仏教が候補に上がる
- そして、鈴木大拙の宗教的霊生との出会いを機に、親鸞に出会う
親鸞とはどんな人
- 親鸞は、経典の研究に励むよりも、日常の生活を重視した。自分の面倒も見れない人間が、仏教の本当の教えに出会えるはずはない
- 生きることの大変さを知ってから、僧侶の道は始まる
- だから、親鸞は農業や漁業などの、自給自足の生活にこそ、仏教の本当の教えがあると考えた
親鸞から受けた影響
- 親鸞の考えに共感した私は、浄土真宗の僧侶になる
- 次はいよいよ農業(自給自足)生活である。これから本当の僧侶としての道を歩むのだ